四つのものを一つにしない#
「千葉県に住んでいる」。この一文が示すのは、本来は現在地である。ところが領土国家の制度では、住所から行政所属、条例、公共サービス、政治参加、税の配分、地域共同体、さらには精神上の帰属までが一括して推定される。
ここには少なくとも四つの別のものが混ざっている。
- 土地への愛着――風景、記憶、言葉、人間関係への感情。
- 法的管轄――現在地で実際に執行される法律と強制力。
- 制度加入――行政、教育、福祉、保険などのサービス関係。
- 心の帰属――自分をどの共同体の一員だと考えるか。
この四つは重なることがあっても、同じものではない。故郷を愛する人が県庁の全事業を支持する必要はなく、現行法に従う人が統治機構へ忠誠を誓う必要もない。
土地は選べなくても、帰属は選べる。服従は強制できても、帰属は強制できない。
「嫌なら出ていけ」が隠しているもの#
制度を批判する人へ「嫌なら外国へ出ていけ」と返すのは、議論ではない。移住には資金、健康、仕事、家族関係、在留資格が必要である。退出費用を極端に高くしたうえで、退出しないことを同意とみなしている。
サービスに不満がある利用者へ、生活圏そのものを捨てろと要求する企業があれば、その企業には独占の疑いがある。政府だけを例外にしてよい理由はない。
宇宙政府が求める退出可能性は、国境を越える一回の大移動だけではない。住所を変えずに、資格の発行者を選ぶ。教育の提供者を選ぶ。決済手段を選ぶ。文化的共同体を選ぶ。政策評価へ参加する回路を選ぶ。国家が抱き合わせた機能を分けるほど、退出は日常的で小さな選択になる。
法を無視する話ではない#
法的管轄と心の帰属を分けることは、「法律は存在しない」と言い張ることではない。警察、裁判、徴税の強制力が現実にあることは認識する。しかし、強制できることから、道徳的に正しいこと、政策に効果があること、費用に見合うことは導けない。
実効支配は、実効支配の証明にしかならない。
宇宙国民という考え方は、公的国籍の偽装でも、納税義務の免除でもない。それは国家に許可を求めずに行える、精神上の自己定義である。他者の帰属を否定せず、複数所属も無所属も認め、自分もいつでも撤回できる。
地域を消すのではなく、行政独占をほどく#
国家機能を分解しても、千葉県という名前、景色、方言、文化、人間関係が消えるわけではない。むしろ地域への愛着を行政組織への白紙委任から切り離せる。
百年後にも「千葉」は残るかもしれない。しかし、千葉に住むことが、教育、福祉、資格、決済、政治参加のすべてを同じ制度から買う契約である必要はない。
住所を現在地へ戻す。帰属を本人へ返す。その小さな分離から、国家という巨大な抱き合わせをほどく作業は始まる。